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25年間記憶に残るプロダクト『ボトルメール』から考える過去と未来

 この記事はリクルート  プロダクトデザイン室  アドベントカレンダー 2022 1日目の記事です。
 
 こんにちは、普段はHR領域のPdMをしたり、中途採用プロジェクトでこのnote運営を担っていたりする木山まどかといいます。趣味は山登り(冬の八ヶ岳が好きです)と、好きな脚本家のドラマを追うことです(坂元裕二さんのファンで、最近は生方さんのsilentに釘付けです)。
今日は趣味とも業務とも直接関係ない、私の大好きなプロダクトの話をしたいと思います。

プロダクト制作で信じていること

プロダクト制作において、私には信じていることがあります。
それは、多くのプロダクトマネージャーが、自分の作ったプロダクトが企業やユーザーの役に立つことを願っているのではないか、ということです。
DAUMAUCTRCVRを分解した数字が行き着く先の、たったひとりの画面越しの誰かの人生を後押しすることを、ひとりでも多くの利用者のメリットになることを願っているのではないかということです。
 
プロダクトを継続的に提供し続けるためには、ビジネス的なゴールや高い目標を数字で追うのはもちろん大切です。一方で本質的な価値は、会ったこともないユーザーに対して、日常や人生の前進を応援することにほかならない、と考えています。それに関連して、25日間のアドベントカレンダーとかけて、25年前(!)の話をしたいと思います。

『ボトルメール』との出会い

話は20世紀まで遡ります。1990年代のインターネットの黎明期、『ボトルメール』というソフトウェアがありました。パソコンのデスクトップアプリケーションで、起動した最初の画面は、何もない海岸のグラフィック。ユーザーがやることは、ただその海に、メッセージを描いたボトルを投げ込むだけでした。当時はスマホもなければ、もちろんタッチパネルなんて機能はないので、キーボードで文字を打ったり、マウスで簡単な絵を描くのが関の山。それをメッセージにして、利用者同士でランダムに交換するソフトウェアが『ボトルメール』でした。利用ユーザーは主に子どもだったと思います。


▲当時の送信内容の再現(小学生から画力が進歩していません)

私はいま30代後半で、『ボトルメール』の発売当時、地方に住む子どもでした。新しいもの好きな父親の影響で、比較的早く家庭にPCが導入されており、小学生のころから、よく分からないながらパソコンの黒い画面にコマンド入力して遊んだりしていました。そんな感じだったので、同年代の女の子がファッション雑誌やテレビのアイドルに熱中する年頃になっても、父が買ってきた週刊アスキー(パソコンのトレンドやソフトを紹介する雑誌)を面白がって読み、インターネットが家に来てからは、親の目を盗んで夜な夜な深夜にテレホーダイでインターネットに繋いで遊ぶ日々でした(昔はインターネットの常時接続時間が限られていた、嘘みたいなホントの話です)。
新しいものに興味津々な一方、手紙好きな母親の影響で、手紙を書いたりハガキを書くのは好きで、友達にクリスマスカードを描いて配ったりすることもありました。デジタルの新しさに惹かれつつも、アナログにしかない温かみもどちらも好きな子どもでした。
 
そんな性格だったので、例のパソコン雑誌の紹介でたまたま知った『ボトルメール』という新しいメッセージ交換のプラットフォーム×人のアナログな手触りを感じられるプロダクトは、当時の私にはとても新鮮かつ心地よく、強烈な印象が残りました。毎日他愛も無いメッセージを書いてはデジタルの海に流し、誰かからの「いい天気ですね」だの、「お腹すいた」といった手描きの絵や走り書きのメッセージを受け取る。インターネットが普及しはじめたころ、ずいぶん牧歌的な時代の産物だったのだと思います。その後様々なインターネットサービスが展開し、いつしか『ボトルメール』のデスクトップアプリの提供がなくなってしまっても、なんだかずっと心に残っているプロダクトでした。

現代で思ってもみない形で再会

時代は流れ流れて、現代に戻ります。大学卒業後はインターネット好きが高じて文系からIT業界に就職。業務システムの開発をするBtoBから、BtoC向けのサービス開発に興味が湧いたところでリクルートに転職し、メディア制作やプロダクト・サービス開発に携わってきました。そして2020年に人流が制限され、ステイホームするしかないGWをぼんやり家で過ごしながら、ふと思い出したのが『ボトルメール』でした。
友人はおろか、新しい人との出会いは全然ないし、SNSで流行していたつなぐバトンみたいなものも物足りない。何かまたワクワクする出会いはないのだろうか?あの『ボトルメール』のように、と思ったのです。
正確に言うと『ボトルメール』に対する子どもの頃の思い入れが強くて、「あのサービス今はどうしているのかな」「似たようなサービスはないのかな」と、大人になっても数年に一度懐かしんでは検索し、追い続けていたのでした。
その時も同じように検索して、初めて見たWikipediaの『ボトルメール』の項目を読んでいました。そこで見つけたのは




開発元:リクルート(ボトルメール (ソフトウェア) - Wikipedia)





の衝撃的な記載。リクルートに入社して10年以上経ちますが、そんな話は一度も聞いたことはなく、ただただ驚きました。自分のSNSにシェアしたら、平均勤続年数が6年の弊社の現役・元同僚問わず、誰もソフトウェアの存在は知らないし、名前すら聞いたことがないとのこと。当時の開発者は当然いないし資料もなく、社内報の検索システム(1970年台から発行されている社内報「かもめ」を全文検索できるのです。普段まったく意識しませんが、創業から63年の歴史を感じます)を使って、白黒写真のインタビューで辛うじてリリース情報を見つけたくらいでした。
当時はメディアデザインセンターという部署にて、新しいインターネットというメディアで、さまざまなユーザーを対象とした試行錯誤が行われていたようでした。子ども向けのソフトができたのはその一環だったと考えられます。

今でこそ多角的な事業をロジカルに推進していく中で、昔はこんなにエンターテインメント要素の強い事業にも取り組んでいたのかと思うと、正直意外だなと思いました。(一応当時はシェアウェアという買い切りソフトとして300円くらいで売られていました。いまのようにサブスクリプションや広告表示のような概念はなかったので、ビジネス展開としては難しかっただろうと推測されます)
でも「まだ、ここにない、出会い。」という2000年代に設定されたミッションと流れを異にするものではないし、むしろ本質をついていると感じました。また自分もプロダクトを作る立場になったからこそ、きっと私のような子どもたちが笑顔で遊んでくれる姿を想像しながら開発していたのだろう、と思うと嬉しい気持ちになります。
個人的に全く自覚していなかったのに、気がつけば子どもの頃大好きだったプロダクトを作っていた会社で働いていた、と知ったのは、人生の中でも指折りのエモさを感じた瞬間でした。
普段自社で生まれたプロダクトを褒めるのはおこがましいように感じるし、個人的には精進する必要が有ることばかりです。

が、こればっかりは25年たちましたし、純粋な1ユーザーとして言わせてください。
 
出会う楽しさを教えてくれた『ボトルメール』、最高でした。
 

昔のプロダクトとの再会から25年後を考える

そんなことを懐かしみながら、自分は25年後に思い出してもらえるプロダクトを作れるのだろうか?と思いを巡らせました。今の時代、プロダクトのライフサイクルはどんどん短くなるし、別にただ長いことが偉いわけでも続けることだけが正しいわけでもありません。
時代が変わっていく中で、むしろ新しく生まれ変わっていく方が、求められているでしょう。
未来の25年後に視点を飛ばして考えると、今年2022年にiPhone14が発売されましたが、さすがに2050年を控えてiPhone39なんてプロダクトはなさそうです。いまのITプロダクトの主戦場であるスマートフォンアプリや、ビジネストレンドのサブスクリプションと言った枠組みすら、過去の変化を踏まえると全く別の形に変わってしまうことも考えられます。今日すでにAIで絵も俳句も小説も音楽も作れるという萌芽を見るにつけ、人やテクノロジーがどんな関係に変化していくのか、将来の予測なんて誰もできません。
ただ少なくとも、人が人と新しく出会う、物事や企業と出会う、そう言ったこと自体はずっと望まれるのではないでしょうか。過去の体験を踏まえて未来を思い浮かべると、25年後の出会いにも、期待したいなと思っています。
 
「未来を予測する最良の方法は、それを発明してしまうことだ」(The best way to predict the future is to invent it.)というのは、かの有名なアラン・ケイの言葉です。0→1を生むより、1→100で何かをふくらませる方が得意な自分が、見知らぬ誰かの25年後の人生に僅かでも影響するようなものを作れるとは断言できません。それでも少しでもよりよい未来と誰かの笑顔を思い浮かべながら、仕事をしていきたいと思っています。


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